今回は長男の事を書きます。
長男は次男の友人関係のもつれからと大人の対応にショックを受けて学校に行けなくなったのですが、次男は1ヶ月で行けるようになりましたが、長男は3ヶ月経っても憔悴しきっていたそうです。
『僕はなんのために学校に行き、なんのために仕事をして生きていくのか?』
大人でも考えるようなことを小学校高学年で考えてたのです。
顔色真っ青、食欲不振、ひきこもり。
休日出掛けようと伝えても、友達に見られるかもしれない。
何か言われるかもしれない。と家からでなかったそうです。
知人は無理には出さず、夜暗くなってから、ちょっと自宅から離れた所に車で連れて人の目を気にさせないようにしていたそうです。
食欲不振もあったので無理には食べさせるようなことはせずに、一緒にお菓子を作ったりして少しずつ食に対しての興味をもたせて、食欲不振を改善していったそうです。
高学年にもなると宿題の量も授業の進みも早く、勉強の遅れも心配になると思いますが、知人は全くそこは心配しなかったそうです。
興味が湧けば勉強の遅れはすぐに取り戻せると信じていたと仰ってました。まず、一緒に笑うこと。
一緒に食べること。一緒に居ること。
そこを大事にしていたら、いきなり『ママ、明日から行くから、先生に時間割りと持ち物聞いといて』と
そこも知人は平然と『OK』と伝え、次の日から学校に復帰したそうです。
2ヶ月行けなかったそうです。
知人は「子供の頃にこうやって自分はどう生きていこうと立ち止まれたことが彼にとっては必要だった。
どこが自分のにとって安全な場所か?を確認したんだと思う。
自宅が彼は安全な場所、心休まる場所、何があっても居れる場所。
と再確認して、外に飛び立ったんだと思う。
不登校と言葉にすると問題があるように思われるけど、皆生きてる。
生きてると言うことは自分の感情と意思もある。親にとっての都合の良い子供より自分でもがいて這い上がって来てほしい。」と。
学校に行くのが当たり前
勉強するのが当たり前
毎日生きてるのが当たり前
毎日一緒にいるのが当たり前
当たり前なんてない。